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つるの剛士「保育園落ちた日本死ね」騒動に思う

 12/1に発表された流行語大賞で、ベストテンにランクインした「保育園落ちた日本死ね」に対して、ネット上で賛否が巻き起こった。

 そしてさらに翌日、つるの剛士氏がツイートした内容が波紋を広げ、ネットで批判され炎上する事態になっている。ネットでの否定派と擁護派の主張の要旨や問題点は、以下の2つの記事を参照して頂きたい。

(1)否定派の意見
つるの剛士が「保育園落ちた日本死ね」の流行語選定を批判! 親たちの困難を理解せず国家への批判を許さない危険な思考」(LITERA 2016/12/3)
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<前略>今月2日にタレントのつるの剛士がこのようにツイートし、批判はさらに加速した。
〈『保育園落ちた日本死ね』が流行語。。しかもこんな汚い言葉に国会議員が満面の笑みで登壇、授与って。なんだか日本人としても親としても僕はとても悲しい気持ちになりました。きっともっと選ばれるべき言葉や、神ってる流行あったよね。。皆さんは如何ですか?〉
「こんな汚い言葉」「日本人としても親としても悲しい」……。このつるのの投稿は、はっきり言って問題を矮小化するものだ。<中略>
 まず、「もっと選ばれるべき言葉があった」というが、「保育園落ちた日本死ね」という匿名ブログが国会で取り上げられ、待機児童が大きな社会問題として捉えられるようになったのは明白な事実だ。ブログの文章が政治を動かす力をもった。それを今年のトピックに選ぶことは、何も不自然ではない。
 そして、どうしてこの言葉がそれだけの訴求力をもったかといえば、「日本死ね」という表現に、いま子をもつ親が抱える現実の切実さが表れていたからだ。
 子を保育園に預けなくては復職できない。でも、認可外までハードルを下げても見つからない。仕事を続けたい、だいたい会社を辞めれば生活は立ち行かない。他方、総理大臣は「女性が輝く社会」などと言う。輝くって、どうやって? ……そんな行き場のない、追い詰められた末に出てきたのが「日本死ね」というフレーズだったはずだ。実際、現状は「保育園落ちた 政府はどうにかしてください」とか「保育園落ちた つらいです」とか、そんな悠長な状態ではけっしてない。<中略>
そうした現実を告発したものを「汚い言葉」と呼んでしまえば、責任の所在は国ではなく親たちにはね返ってくる。つるのが「親として」と言うのなら、悲しむべきは「日本死ね」としか怒りのぶつけようがないくらい追い詰められた親たちがこの国には数多くいるという現実にあるはずだ。
 だが、このように言ってみたところで、つるのにはきっと届かないのだろう。
 そう思うのは、つるのはこれまでも、安倍政権の政策を無批判に“応援”してきたからだ。
 たとえば、昨年7月、安保法制の衆院通過後には、〈「反対反対」ばかりで「賛成」の意見や声も聞きたいなぁって報道やニュース観ていていつも思う。賛成派だって反対派だって平和への想い、戦争反対の想いは同じ〉〈強行採決。。いや、民主主義に則った多数決だとおもいます〉などとツイート。さらに同年9月には、こんな投稿も行っている。
〈僕の小学校時代(大阪、高槻)は国旗掲揚、国歌斉唱廃止、「皆平等」ということで運動会の点数制度廃止、何故か隣国の事を学ぶ授業。今考えればかなり偏った教育を受けていた地域、時代でした。イチ先生の歪んだ思想に多数の子供達を巻き込まないで頂きたい。断固。〉
 偏った報道、偏った教育──。つるのの批判の仕方を見ていると、もはやネット右翼と変わらないが、今回、つるのが「日本死ね」という表現に対して「汚い言葉」と反応したのは、ネット右翼と同様に「日本を誇れ」という思いが強いからなのだろう。しかし、そうして日本を誇ることを強要し、「自国に対して汚い言葉を使うな」と言っていると、それこそ北朝鮮のような国家と何も変わらなくなってしまう。そのことに、彼ははたして気づいているのだろうか。
(編集部)
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(2)擁護派の意見
つるの剛士さんの批判を許さないリテラのほうが危険」(BLOGOS 2016/12/4)
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正確な事実認識のもと批判や評価をするのがジャーナリズムだが、 「リテラ」は自分たちが許容できない発言を恣意的に解釈し、“独裁国家的”として潰してしまおうという、とてもジャーナリズムとは呼べない批判をしている。
ジャーナリズムの健全性への挑戦ともいえる危険な行為で、リテラは過去にも同様な論説を行っている。
記事のタイトルで、つるの剛士さんのことを「危険」と述べているが、つるのさんの批判を許さないリテラのほうが危険だ。<中略>
リテラは、
「「こんな汚い言葉」「日本人としても親としても悲しい」……。このつるのの投稿は、はっきり言って問題を矮小化するものだ。」
と言うが、つるのさんは問題全体よりも「死ね」という言葉がどうか?という疑問を呈しているわけである。
待機児童の問題は、私も法案を提出するなど積極的に取り組んできたが、 「日本死ね」という言葉は行き過ぎだと思う。
切実な声だとしても、何かが実現しない時に相手に「死ね」と言うだろうか?
さらに、リテラが「安倍政権の政策を無批判に“応援”してきた」として紹介しているつるのさんのツイートもそう決めつけることはおかしいし、
「そうして日本を誇ることを強要し、「自国に対して汚い言葉を使うな」と言っていると、それこそ北朝鮮のような国家と何も変わらなくなってしまう」
という批判も、日本を誇ることが北朝鮮につながるという、リテラのほうこそ北朝鮮的論理だ。<後略>
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 つるの氏のツイートをあんまり見たことがなったので、彼の考え方はよく解らないが、確かに安保法制や教育の考え方には一部を除き同意できない。

 しかし今回の「保育園落ちた日本死ね」の流行語受賞に関するツイートには、ほぼ同意だ。従って私は、上記2つの記事のうちBLOGOSの意見に賛同している。

 LITERAが書いているような、つるの氏が「ネット右翼と変わらない」とは思わないし、「問題を矮小化している」とも思わない。

 ちゃんと待機児童の問題が悠長な状態ではないことも、追い詰められた末に出てきたのが「日本死ね」というフレーズだったことも理解した上で、それでも「日本死ね」という言葉は使わない方が良いのではないかと疑問を投げかけているだけだ。

 また、きちんと相手を尊重した言葉遣いを心掛けているように見える。これのどこがネット右翼だろうか?

 LITERAが言うように、確かに「日本死ね」という言葉で書いていなければ、待機児童問題がここまで世間にクローズアップされることは無かったかもしれない。その点で私も最初の頃の燃料投下としての使い方は許容している。

 当事者たちが待機児童問題を本気で解決したいと思っているなら、私は今更もう「日本死ね」という言葉を使い続ける必要は全くないと思う。このことから、私は流行語大賞に「日本死ね」を選んだことに違和感を感じるし、山尾議員が受賞式にノコノコ出てきたことに苦言を呈したいと思ったのである。

 やっぱり今でも、流行語大賞には「「#保育園落ちたの私だ」を選べば良かったし、山尾議員は受賞を辞退して、後からマスコミが嗅ぎつけたところで、神妙に「早く死語に」とか「解決に努力したい」とか言った方が良かった気がする。
 

p.s.
暦ちゃんが無事に見つかって本当に良かった。気温が高かったこともあり本当に運が良かった。それにしてもこんな子供でも2キロも山の中を移動するのだから、本当に気を付けないといけないなぁ。

大分の不明2歳女児を無事保護 2キロ離れた山中で」(日刊スポーツ 2016/12/6)
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 大分県警佐伯署は6日、同県佐伯市宇目の畑で5日昼から行方不明となっていた徳永暦ちゃん(2)を畑から約2キロ離れた山中で無事に保護したと発表した。すり傷はあるが、意識がはっきりしており、大事を取って病院に搬送した。<中略>
 周辺は民家が点在する中山間地で、近くには川もある。大分地方気象台によると、5日夜から6日にかけての佐伯市の天候はおおむね晴れ。最低気温は午前1時20分ごろに観測された10・1度で、平年より4度余り高かった。担当者は「上空に雲があったことで放射冷却現象が起きにくかったと思われる。12月の夜間としてはかなり気温が高かった」と話した。(共同)<後略>
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Category: クローズアップ(雑多)
Published on: Wed,  07 2016 00:00
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