51%の真実

コーヒーブレイク

安らかに眠れ、ミホノブルボン逝く・・・

 私が一番好きだった”ミホノブルボン”が、2/22(水)に老衰で死んでいたという記事を見つけた。

「坂路の申し子」ミホノブルボン死す 老衰、28歳」(日刊スポーツ 2017/2/24)
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 92年の皐月賞、ダービーを制した2冠馬ミホノブルボンが22日に老衰のため死んでいたことが23日、分かった。28歳。12年の種牡馬引退後は、北海道日高町のスマイルファームで余生を送っていたが、21日朝から寝たきりの状態となり、22日午後6時すぎに息を引き取った。<中略>
 91年9月に中京競馬場でデビュー。当時、最新施設だった坂路で4本追いを消化するなど、故戸山為夫師の元で徹底的に鍛え上げられ、「坂路の申し子」と呼ばれた。圧倒的なスピードを武器に快進撃を続け、朝日杯3歳S、皐月賞、ダービーなど、無傷の7連勝を達成。ダービーは4馬身差の逃げ切りだった。秋の菊花賞でライスシャワーの2着に敗れて惜しくも3冠制覇は逃したが、92年の年度代表馬にも選出された。<後略>
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 1985年に栗東トレーニングセンター坂路コースが設置された。1990年代は、坂路調教のノウハウが確立し花を咲かせたことにより、まさに栗東所属の関西馬が競馬シーンを席巻し始めた時代であった。

 その頃は関西圏の競馬には馴染みが薄かったことと、関東馬が弱いと言われ始めていたことへの反発もあり、関西馬のミホノブルボンにさして興味があった訳ではない。

 書き始めるととめどもなく書き続けてしまいそうなので、私が競馬人生の中でミホノブルボンを一番魅力的な馬と思うようになった理由と、そのキッカケのレースについて書き留めて置きたい。

(1)マイナーな血統と騎手

 父 マグニテュード
 母 カツミエコー
 騎手 小島貞博

(2)逃げ馬脚質と故戸山為夫調教師のスパルタ調教

(3)惜しくも3冠を逃した菊花賞とその後のライバルの死


 そう、父がシンボリルドルフであった1歳年上の”トウカイテイオー”のような華など微塵もなく、今なら虐待と訴えられるであろう坂路でのスパルタ調教で、サイボーグとも呼ばれるまでに鍛えられた。

 その成果もあり皐月賞、ダービーを影も踏まさぬ逃げ切りで圧勝したが、菊花賞では”ライスシャワー”に差されて惜しくも3冠を逃してしまった。そしてその後、過度な調教がたたり脚部(確か股関節)不安を発症し、そのまま再起叶わず引退に追い込まれた。これらの要素が複雑に絡み合い、私の中でブルボンを最愛馬にしたのだと思う。

 (”ライスシャワー”が、1995年に2年ぶりに春の天皇賞を勝った後、明らかに距離が短い宝塚記念に無理やり出場させられ、非業の死を迎えてしまったことも、かなり影響を与えていると思う。)

 ただ一つ残念なのは、競馬の厳しさとは言えブルボンの血統を現在に残せなかったことだ。なんとか1頭でも仔どもがG1を勝ってくれないかと、ずっと応援していたのだが、血を繋ぐという競馬の夢を達成することは叶わなかった・・・

 今日は在りし日のブルボンの雄姿を見ながら、その思い出に浸りたい。そこで1992年菊花賞の動画を貼り付けて置きます。(ついでに皐月賞とダービーも。)

 今はただ、安らかに眠って欲しいと思う。


 




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