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51%の真実

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小池百合子の研究3 ~関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式の追悼文を断った理由~

Category - 人物研究
 8/24(木)の時点で、小池都知事が関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式の追悼文を断ったことがニュースになっていた。

(1)「関東大震災の朝鮮人虐殺 小池都知事が追悼文断る」(東京新聞 2017/8/24)
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 東京都の小池百合子知事が、都立横網町(よこあみちょう)公園(墨田区)で九月一日に営まれる関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式への追悼文送付を断ったことが分かった。例年、市民団体で構成する主催者の実行委員会が要請し、歴代知事は応じてきた。小池氏も昨年は送付していたが方針転換した。団体側は「震災時に朝鮮人が虐殺された史実の否定にもつながりかねない判断」と、近く抗議する。 (辻渕智之、榊原智康)
 追悼文を断った理由について、都建設局公園緑地部は本紙の取材に、都慰霊協会主催の大法要が関東大震災の九月一日と東京大空襲の三月十日に開催されることを挙げ、「知事はそこに出席し、亡くなった人すべてに哀悼の意を表しているため」と説明。「今後、他の団体から要請があっても出さない」としている。
 追悼文は一九七〇年代から出しているとみられ、主催者によると確かなのは二〇〇六年以降、石原慎太郎、猪瀬直樹、舛添要一、小池各知事が送付してきた。<中略>
 追悼碑を巡っては、今年三月の都議会一般質問で、古賀俊昭議員(自民)が、碑文にある六千余名という数を「根拠が希薄」とした上で、追悼式の案内状にも「六千余名、虐殺の文言がある」と指摘。「知事が歴史をゆがめる行為に加担することになりかねず、追悼の辞の発信を再考すべきだ」と求めた。
 これに対し、小池知事は「追悼文は毎年、慣例的に送付してきた。今後については私自身がよく目を通した上で適切に判断する」と答弁しており、都側はこの質疑が「方針を見直すきっかけの一つになった」と認めた。また、都側は虐殺者数について「六千人が正しいのか、正しくないのか特定できないというのが都の立場」としている。<後略>
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 これに関して、8/25(金)の知事記者会見で記者からかなりしつこく質問を受けていた。

 「関東大震災の朝鮮人虐殺」を否定する「歴史修正(改竄)主義」ように思われる行為だから、記者がしつこく食い下がるのは当然のことだろう。

(2)「小池知事「知事の部屋」/記者会見(平成29年8月25日)」(知事の部屋 GOVERNOR'S OFFICE 2017/8/25)
※リンク先の動画の該当時間だけ補足で追記しています。
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<前略>
※0:31:33~
【記者】共同通信の河村です。2点お伺いいたします。1点目です。毎年9月1日に都立公園で市民団体が主催で開催されている、関東大震災の朝鮮人犠牲者の追悼式への追悼文送付に関してです。これまで歴代の知事は追悼文を送ってこられたようですが、今年から知事が送ることを取り止めるということなので、これに関して、3月の定例会の一般質問でも、自民党の都議から慰霊碑の犠牲者数に疑義が呈されて、「追悼文の送付を考え直すように」という質問があったかと思うんですが、それも含めて、知事から改めて、どのようなお考えで追悼文の送付を取り止めるという決定をしたのかお聞かせください。<中略>
※0:33:09~
【知事】まず、1点目のご質問でございます。横網町公園での追悼行事に関してのご質問だと思いますけれども、今年も私は3月に、関東大震災と都内の戦災遭難者慰霊大法要という、9月にも行われるわけでありますけれども、3月にはその大法要にも出席をいたしております。その場で都知事として、関東大震災で犠牲となられた全ての方々への追悼の意を表したところでございます。ということで、この全ての方々に対しましての慰霊を行っているということで、今回、特出しの意味で行ったわけではございません。追悼文を送ったということではございません。それに尽きます。<中略>
※0:37:26~
【記者】朝日新聞の岡です。先ほどもあった朝鮮人の犠牲者の追悼式典に関して追加で伺いたいんですけれども、今、知事が「犠牲者全体への追悼の意を込めて」というようなお話、理由の説明がありましたけれども、一方、主催者側からは、一般の犠牲者、震災の犠牲になられた方と、それから、不幸にして、流言などによって虐殺をされた、人の手で殺された犠牲者の方への追悼というのは、これは意味が違うというようなことで意見も出されてるわけですけれども、この反論については、知事、どうお考えでしょうか。
【知事】それぞれ主催をされる方々のお申し入れというのは、切り口は異なってるかと思います。しかし、いずれにしても不幸な死を遂げられた方に対しての慰霊をする気持ちには変わりません。ということで、3月と、それから、9月、都知事として、また、都として全ての方々への哀悼の意を表するということは、大変意味の深いことだと思っております。
【記者】そういう民族差別ってものが背景にあるような形で起きた不幸な悲劇について、特別にその追悼の文、追悼の辞を述べる、送るということについて、ここには何かしら特別な意味というのは見出されないですか。
【知事】そこで民族差別という観点というよりは、私はそういう災害で亡くなられた方々、災害の被害、さまざまな被害によって亡くなられた方々に対しての慰霊をしていくべきだと思っております。
【記者】あと、ごめんなさい。去年も出されてるわけですけれども、去年出されて、今回は取り止めされたと。この判断の違いというのは、何か理由があるんでしょうか。去年は判断誤っていたという観点なんでしょうか。
【知事】一言で申し上げますと、こういう追悼文であるとか、さまざまなメッセージについては、都知事自らが案文を考えたりするわけではなく、また、慣例的に、そのまま事務的に繰り返し、日付だけ変えてかどうか知りませんけれども、送られるということもあるようでございます。昨年は慣例的に、事務的に戻していたといったことでございまして、それは後で、私はそのことについてたまたま知ったということから、今回は私自身が判断をしたということでございます。
【記者】送られたの知らなかったということですか、去年については。
【知事】そのような文言という、メッセージというのはあちこちからお申し出がございますので、知っているものと知らないものと、そして問題のあるものと問題のないものがあるかと思いますけれども、こういった背景と判断が必要なものについてはきちんと、それ以降、私自身に確認をとるようにということを伝えたところでございます。
【記者】ジャパンタイムズの大住です。先ほどの質問と関係ありますが、都知事が今年追悼文の送付を断られたことによって、朝鮮人コミュニティーの中では、「大震災のときに朝鮮人が殺害された事実は否定されることになる」という受け止めの声が、そういった批判の声が出てるんですけれども、それについては知事はどう思われますか。実際は、その事実、そういったことがなかったという批判に対してどう思われますか。
【知事】さまざまな歴史的な認識があろうかと思っておりますが、この関東大震災という非常に大きな災害、そしてそれに続くさまざまな事情によって亡くなられた方々に対しての慰霊をする気持ちは、これは変わらないものでございます。<中略>
※0:45:44~
【記者】東京新聞の森川です。追悼文について追加でお尋ねします。仮に、昨年の追悼文が慣例的であったとして、知事は今年3月の議会答弁で、「今後については私自身がよく目を通した上で適切に判断する」と答弁されています。追悼文を実際読まれたかと思います、昨年のやつを。一節を読みますと、この極度の混乱の中、多くの在日朝鮮人の方々がいわれのない被害を受け、犠牲になられたという事件は我が国の歴史の中でもまれに見る、まことに痛ましい出来事でしたとあります。追悼文の中身で、実際読まれて、ご自身として、内容についてはどのようにお考えであるのかと、内容に違和感があるのかないのか、あるいはどのようなご感想を持たれているのか、そのあたりはいかがですか。
【知事】基本的に関東大震災という大変大きな災害があり、そして、それに付随した形で、関連した形でお亡くなりになった方々っていうのは、国籍を問わず多かったと思っております。その意味で3月そして9月の大法要ということについては、全ての方々に対しての慰霊を行っていくという点については変わりがないわけでございます。
これまで毎年出していたということについては、そういう見方もあるだろうと思いますけれども、私は今回は、全ての方々への法要を行っていきたいという意味から、今回特別な形での追悼文を提出をするということは控えさせていただいたということでございます。多くの方々が被害に遭いました。
以上です。

(テキスト版文責 政策企画局調整部政策課)
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 3月の戦災遭難者慰霊大法要において「関東大震災で犠牲となられた全ての方々への追悼の意を表した」という理由で、煙に巻こうとしていると感じる。

 朝鮮人犠牲者は関東大震災という自然災害が主因ではなく、大震災による異常な精神状態の中とはいえ、根底にレイシズムがあることにより引き起こされた人災だろう。

 これをきちんと理解し反省していれば、大法要で全ての犠牲者に追悼の意を表したからと言って、朝鮮人犠牲者追悼式の追悼文を断る理由にはなり得ない。

 小池都知事の本音は、「民族差別という観点というよりは」と「さまざまな歴史的な認識があろうかと思っております」という言葉に、全て集約されていると思う。まさに「極右保守」で「歴史修改竄主義」の顔が炙り出された瞬間だろう。
 
 さらに、「昨年は慣例的に事務的に戻していた、後でそのことについてたまたま知った、今回は私自身が判断をした」という言葉も衝撃的だ。「昨年も知っていたら送らなかった」ということを言っているのだ。
 
 それにしても追悼文の内容に違和感があるのかないのか、自分の考えをまともに答えようともしない、こんな人が率いる小池新党がどのようなポリシーを持った政党かは推して知るべだろう。



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小池百合子 関東大震災 朝鮮人犠牲者追悼式

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